中台両岸横断の旅

2005年1月1日

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移動しつつ、きっと昔からここにあるんだろう建物を見にきた。
こういう建物を見ていると、どうも福建旅行に行ったときに見たものと記憶が一致するのだ。当然のようにここは福建に近いエリアだ。
今となれば、ここの集落も昔ながらの建物は少なく、新しいけど似たような建築様式の建物が建ち並んでいる。
古い建物になんの興味があるかといえば、そこにかつての戦争の傷跡があるからなのだ。
こういう穴は、砲弾の穴なんだって。
ぼろぼろの家を身ながら、砲弾の跡を探すよ。
こういう昔の建物を見ると、昔の戦争の傷跡というのが実は物すごく残っていることがわかるのだ。
(上)これは別の場所にある古い建物の跡。ここにはしっかりと激戦の跡は刻まれている。
(右)古寧頭戦史館の入口に来た。この島は目印になるようなところにはこんなふうな軍事拠点みたいなのが建っている。さすがに見なれてきた。
古寧頭戦史館へ行くまでの道。周りが石垣のようになっている道をさりげなく歩いているけど、ちょっと高くなっているのには、それなりに戦略的なわけがあるのだ。
木が生い茂っていてしっかりした石垣が築かれているように見えるけど、実はこの石垣、中身は空洞で、中から銃で敵を撃てる仕掛けになっているのだろうな。
古寧頭戦史館正面。
「金門の熊」と言われるM5A1戦車。もともとは戦後に米軍がフィリピンで捨ておいた戦車を当時国民党に兵器がなかったために拾ってきて修理して使っていたそうな。この戦車を使っていたある日、戦車が海岸で故障し修理していたとき、折しも共産党が海岸に上陸したんだって。結果的にはこの戦車のプレゼンスによって図らずも金門島は共産党支配から免れたらしんだけど、これは何と美化すればいいかわからない逸話だ。
正面に金門島の兵士。何をモチーフにしているかは不明。
古寧頭戦史館をバックにして、先ほどまで通ってきた道を見るよ。
よくよく見ると――石垣にこんな穴があって、ここから侵入が監視されて打ち殺されるのかと思うと怖いねえ。
古寧頭戦史館を後にして、別の場所に向かうのだ。道路のところにあるゲートのようなもの。
 

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